特別保存刀剣『栗原筑前守信秀 慶應三年八月日』
刀剣種別 『刀・Katana』
銘 『栗原筑前守信秀 慶應三年八月日』
『Kuruhara chikuzen no kami NOBUHIDE』
鑑定書『日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣』 NBTHK 『Tokubetsu Hozon Paper』
時代『慶應三年』 Production age 『1867』
栗原信秀は、幕末の巨匠である源清磨の高弟である。文政十二年に京都に上り鏡師になったが、嘉永初年度三十四歳で江戸に出て窪田清音を介して清麿に弟子入りする。清麿とはわずか二歳違いであり、弟子というよりは弟分の待遇であった。天才清麿に負けぬ天才肌であり四年で独立する。その後浦賀・大阪と打つ。慶應元年に筑前守を受領した後、高野山の奥の院に清麿を追善する碑を建て、永代供養の位牌を納めている。これには余程の費用がかかっており、清麿との深いつながりを窺い知る事が出来る。明治二年には明治天皇の御番鍛冶に任命され、佩刀を献上しその地位を不動のものとする。彼の技量は清麿一門の中でも最も卓越しており、師清麿に迫る出来映えのものがある。
この作は慶應三年の作である。幅は尋常で表には二筋樋に剣、裏には二筋樋に梵字の自身彫りがある。鍛は板目が肌立ちごころで杢目をまじえ、総じて流れ、地沸が厚くつき、地景がよく入り、刃文は互の目乱れに角ばる刃・頭の丸い互の目・尖刃等を交えた特徴的な焼刃をみせ、足が長くよく入り、沸が厚くつき、総体に砂流しがかかり、随所に太い金筋が入り、匂口明るいなどの出来口をあらわしている。信秀の本領が遺憾なく発揮された典型的な一口で、覇気に溢れている。慶應三年記の本作は信秀が江戸に戻ってきて間もない頃の作刀であり、同工の熟達した技量が看て取れる。
『形状』鎬造、庵棟、身幅尋常、平肉あまりつかず、中鋒延び、ふくら枯れる。
『鍛』板目肌立ちごころに杢交り、総じて流れ、地沸厚くつき、地景よく入る。
『刃文』互の目乱れに角ばる刃・頭の丸い互の目・尖刃等を交り、足が長くよく入り、沸が厚くつき、総体に砂流しがかかり、随所に太い金筋が入り、匂口明るく冴える。
『帽子』乱れ込み、先掃掛て尖って深く返りる。
『茎』生ぶ、先刃上がりごころの栗尻、鑢目筋違い、目釘孔1。
『鎺』銀一重
白鞘附
『寸法(Size)』
長さ(Blade length)71.7cm、反り(Sori)1.6cm、
元幅(Width of moto)3.05cm、先幅(Width of saki)2.2cm、
元重(Thickness of moto)0.7cm 先重(Thickness of saki)0.4cm
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