特別保存刀剣
『加藤長運斉綱俊造 於千住太々土壇拂 切手山田五三郎 天保十三年十一月吉日』
刀剣種別 『刀』 katana
無銘 『加藤長運斉綱俊造 於千住太々土壇拂 切手山田五三郎 天保十三年十一月吉日』Katou chounsai TUNATOSHI tukuru
日本刀 鑑定書『日本美術刀剣保存協会 特別保存 刀剣』 NBTHK 『Tokubetsu Hozon Paper』
時代『天保13年』 Production age 『AD1842』
新刀位列『新々刀上作』
長運斉綱俊は、米沢の藩工加藤勘四郎国秀の子であり寛政九年生れ、号を長運斉と称す。江戸麻布飯倉片町の上杉家屋敷にて鍛刀する。水心子正秀の門人であり、弟子には固山宗次・高橋長信・石堂運寿是一など幕末の名工が名を連ねる。固山宗次の師は綱俊の兄である綱秀(綱英)との説もあるが、実際には弟である綱俊に多大な影響を受けたと思われる。それは宗次が備前伝の丁字刃を得意とした事に比して、綱秀(綱英)には濤乱刃が多く丁字刃はほとんど見られず、綱俊には丁字刃が多い事から推測が出来る。この作品は山田浅衛門家山田五三郎による截断銘が入る。綱俊と宗次が、備前伝の名手として天保年間にその名が巷間に注目されていた事は、彼らの技量が優れていた事は当然としながらも、それ以上に彼らの刀の斬味について指導した伊賀乗重や山田浅衛門家と極めて懇意な関係を保持した事に大きく起因する。このことは綱俊が師である水心子正秀の、美術面ではなく武用面を第一義とした武用論に影響をうけたものであろう。水心子正秀は晩年その自説をまもり派手な刀を作らなかったが、綱俊は師正秀の武用面を、伊賀乗重や山田浅衛門家とのつながりにより忠実にまもり、それでいて備前伝の美術面も高く表現してみせた。このことが長運斉綱俊と固山宗次が、江戸新々刀期刀工としては抜きんてている所以であろう。
『形状』鎬造、庵棟、地肉置き豊かに身幅あり、反り高く、大峰、姿豪壮。
『鍛』小杢目鍛よく練れて美しく詰み、細かな地景入り肌潤う。
『刃文』互の目丁字足長く良く入り、小沸深く、刃明るく白く冴える。
『帽子』乱れ込んで小沸、先掃荒沸つき小丸返る。
『茎』生ぶ、鑢化粧筋違い刃上り剣形小尻、目釘孔一、特に健全である。
『附』白鞘
『寸法(Size)』
長さ(Blade length)69.7cm、反り(Sori)1.7cm、
元幅(Width of moto)3.3cm、先幅(Width of saki)2.5cm、
元重(Thickness of moto)0.75cm 先重(Thickness of saki)0.5cm