保存刀剣『島田義助』
刀剣種別 『刀・Katana』
無銘 『島田義助』
『Shimada YOSHISUKE』
鑑定書『日本美術刀剣保存協会 保存刀剣』 NBTHK 『 Hozon Paper』
時代『室町中期(明応〜大永)』 Production age 『1492-1528』
二代から三代ごろ。初代島田義助は島田鍛治の祖。今川義忠から義の一字を授かり義助と名乗る。今川義忠の年代からみても初代義助は康正を遡らないのであるが、江戸時代の書は相州正宗の門で元応ころとし、初銘を富士または富次と打つという。また応永慶金を初代とするものは片岡新三郎が本名という。正宗門説の出所は江戸時代の正宗偏重の風潮にのって架空系図がつくられたことによるもので、実際の初代義助は康正、二代明応、三代大永、その後新刀期に入る。備考などの記述によれば、今川義忠、氏親、氏輝、義元、氏真の五代の間、義助七代が島田で恩地を賜り、この地で栄えるとある。名鑑には康正二年記の作がるというが、年記の無いものも含め初代作の現品は見ることがない。二代義助は相州小田原住。北条早雲が永正十六年に没してのち、二代氏綱の代に二代義助は康国、康春、綱家、義綱など一門を従えて小田原城下へ移住する。永正十八年記に「相州小田原住義助信定」の信定との合作による小田原打ちがある。明応から大永初年ころまでの鍛治で、年紀があるものでは永正二年が古い。鍛は板目、柾の交じるもの、肌の詰むものと肌立つものがり、地沸つき、白気ごころのものがある。刃文は直刃、湾れ調に互の目が連ねごころに交じり箱がかった村正風のもの、皆焼風の相州伝があり、叢沸のつくものが多い。
この刀は板目肌よく詰み、叢沸が厚くつき、地景が細かによく入り、湾れ調に小互の目の交じえて焼き出し、鎬筋まで届くほどの焼きの高い大乱れ刃となり、小沸深くよくつき、総体に太い金筋・砂流しがかかるなど、相州伝風に仕上げており、匂口が明るい点には特筆するべきものがある。義助二代三代同作の中でも白眉であり、併せて地刃共に健全であることも好ましい。。
『形状』鎬造、庵棟、身幅尋常、反り深く、中鋒。
『鍛』板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、叢沸となり、地景細かによく入る。
『刃文』湾れ調に小互の目の交じえて焼き出し、大乱れ刃皆焼風に焼き高くなり、小沸深くよくつき、総体に太い金筋・砂流しがかかり、匂口明るい。
『帽子』浅く湾れて小乱れ、先尖ごころに掃掛け気味となる。
『茎』大磨上、鑢目切、目釘孔3。
『寸法(Size)』
長さ(Blade length)65.6cm、反り(Sori)12.3cm、
元幅(Width of moto)3.08cm、先幅(Width of saki)1.95cm、
元重(Thickness of moto)0.76cm 先重(Thickness of saki)0.52cm
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