特別保存刀剣『天然子寿昌 天保十三年二月日』

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更新日 2017-06-27 | 作成日 2008-07-02

特別保存刀剣『天然子寿昌 天保十三年二月日』

刀剣種別 『刀』  『katana』
銘 太刀銘『天然子寿昌 天保十三年二月日』
『Tennenshi TOSHIMASA (SANEO)』
日本刀 鑑定書『日本美術刀剣保存協会 特別保存 刀剣』 NBTHK 『Tokubetsu Hozon Paper』
時代『天保十三年』 Production age 『AD1842』

ご成約済です ありがとうございました(sold out)

信濃国天然子寿昌(山浦真雄)は、文化元年信濃国佐久郡赤岩に生まれ、その十年後に弟の清麿が生まれる。天保二年から弘化末年まで『寿昌』銘をきり、嘉永元年より『源正雄』と改名、嘉永四年頃より『真雄』と銘す。山浦家は元々武田勝頼の家臣である山浦常陸助信宗が、勝頼の死後赤岩に難を避け土着し、後に郷士となった武士の家系である。信元の代より小諸藩に属して赤岩の名主を務め、これが真雄の代まで引き継がれた。真雄・清麿・共に剣の道に励み相当の使い手であった事は、彼らの作品が何れも重心が良く使いやすい点から推量しても想像できる。天保三年真雄二十九歳の時に、刀工の道に専念するべく御役御免を願い出ており、同時期江戸に於いて水心子正秀と交流があったものとみられている。嘉永元年に上田藩主である松平伊賀守に命じられ、上田の鍛冶町に居を転じ作刀する。真雄いわく切れ味において『古今を通じて自分の作品の上に出るものはない』と大変な自負に聞こえるが、荒試しの成績から大慶直胤の刀がほとんど四・五太刀目に折れているのに対して、真雄の刀は抜群の成績を残したことからも、それがかならずしも誇大でないことが認められる。ちなみに荒試しの日に真雄は、成績が不首尾の場合はその場で割腹の覚悟で下に白装束をまとっていたと言われている。武将の血を引くとは言え死を賭して自己の責を負わんとする心構えは、作刀に悩み自刃した清麿と同じであり、その苛烈さはさすがに兄弟ある。
この刀は真雄が三十九歳(天保十三年)の作である。小諸在住当時の小諸打であり、『寿』の銘が同様の特徴を出す。鍛えは小板目つみごころに杢目が交じり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入り、刃文は互の目乱れに丁字風の刃・尖り刃など交じり、沸が厚くつき、所々荒めの沸を交え、湯走り、金筋・砂流しが幾重にも重なり頻りにかかり、匂い口が明るく冴え、帽子は乱れ込み小丸に長く返るなど、出来はまさに清麿を髣髴せしめるものがあり、真雄中屈指の傑作である。なお同作中、天然子寿昌銘の刀は僅少であり、資料的にも貴重である。

『形状』鎬造、庵棟、身幅広め、元先の幅差少しつき、反り深くつき、中鋒延びごころ。
『鍛』小板目肌よく詰み杢目交じり、地沸微塵に厚くつき、地景頻りに入りる。
『刃文』腰開きの互の目から焼きだし、次第に焼きの高い互の目乱れに丁字風の刃・尖り刃など交じり、足長くよく入り、沸が厚くつき、所々荒めの沸を交え、湯走り、金筋・砂流しが幾重にも重なり長く頻りにかかり、匂い口が明るく冴え。
『帽子』乱れ込み小丸、返り深い。
『茎』生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一、太刀銘に長銘と裏に年紀あり。
『附』白鞘

『寸法(Size)』
長さ(Blade length)74.8cm、反り(Sori)2.2cm、
元幅(Width of moto)3.2cm、先幅(Width of saki)2.1cm、
元重(Thickness of moto)0.7cm 先重(Thickness of saki)0.4cm

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